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オレのまんが道

”ハイ”とぼくはうつむいて、首を縦にふったんです。
その場で”契約しません”と言えたら、かっこよかったんでしょうけど
そんな自分は想像できない。

ボクは家に帰って、原稿を描こうと思って、机に向かって……
そしたら涙がポトポト紙に落ちて……。
悔しくて悔しくて……、たまんなくなって……。

画力もストーリーも、ボクよりうまい作家はいる。
でもボクは毎日毎日、机にへばりついて描いている。
闘ってるんだ! それだけが誇りなんだ!

なのに……まんがが、描けなくなっちゃったんですよ。
まんがを描くことが、楽しくなくなっちゃったんですよ。

(1988年 村上もとか先生 談)


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『オレのまんが道』(小学館 刊)


20年くらい昔に出版された、漫画家さん達へのインタビュー集である。
これが泣ける。
ウヒョが新人の頃、気持ちがヘコむたんびに読み返した本。
部屋の本を整理してたら、久しぶりに目にしたもんで、ついつい読みふけってしまった。

ちなみに上の談話は、村上もとか先生が若い頃
打ち切りか専属契約かを迫られた時のエピソード。
結局、連載を打ち切る方を選び、楽しく描く道を選んだ村上もとか先生は
「赤いペガサス」「六三四の剣」などの名作を生み出していくわけですが。

もう、先生抱いて!って感じ。
泣けるし、青臭いし、それがまたかっこいいし
あんな大御所の先生でも、そんな時代があったんだと思うと
なんかものすごく勇気がこみ上げてくる。

20年前のインタビューだから、今のウヒョと歳はさほど変わんない頃。
かなわないなあ。一生かなわない。


その頃、アルバイトで、子役のタレントのおもりをして
デパートの屋上で子供を遊ばせながら、抜けるような青空を見上げてさ
オレはいったい何をしているんだろうと、途方にくれたこともあったけど…。

(1988年 松本零士先生 談)


2日間で口にしたのはバナナ4本だけ。
もう最後はとりつかれたようになって……。
でき上がった下書きを読み直しますよね。
そしたら、涙が出てね。 涙がとまらなくなっちゃって……。

(1989年 むつ利之先生 談)


オレはオヤジにこう言ったの。
”たぶん何年かあとに、あの時まんが家をやりたかったなあと
酒飲んでグチったりすることがあると思う。
その時、本当につらいのは、オヤジとオフクロやないか”。

(1989年 六田登先生 談)


ああんもう、まとめて抱いてくれって感じ。
ウヒョをもうめちゃくちゃにしてっ! そして焼き払ってっ! ガンジス河に流してっ!

どの作家さんのエピソードを読んでも、泣けて、熱くなる。
お亡くなりになられた、たかもちげん先生の粘りに粘った逆転ホームラン人生なんて
床に穴掘って、土下座したくなるほど素敵すぎる。


この本、1巻と2巻あるんだけど、1巻がずっと見当たらない。
誰か、アシさんに貸したままのような気がするんだけど。
1巻の、原秀則先生がアシスタントにいじめられ続けたエピソードとか壮絶なんだけど。
もし古本屋で見かけたら、迷わず買いの1冊です。

ああ、頑張ろっと。


最後に、久しぶりに読み返し、気づいてちょっとニヤリとした部分。


でね、うらやましいなあと思いながら
ボクも江口さんのようなタッチの絵を遊びで描いて、仕事場に貼っておいたの。
そしたらアシスタントに来た人に
”えっ、こんなのが描けるなら、描けばいいじゃん”と言われて。
えー、こんな絵、商売になるのかな、と思ったんだけど。

その連載が終わって”次に何かやる?”って聞かれたので
原作付きはイヤだ、オリジナルでやらせてくださいって、お願いしたんですよ。
おしゃれな絵を描きたいと思って。

(1988年 国友やすゆき先生 談)


このエピソードで、国友やすゆき先生メジャーへの転機となった作品が
月刊少年チャンピオン、1984年連載の
『優と勇』という作品らしい。

おおう、でた、月刊少年チャンピオン。
どんなもんじゃい。


…ウヒョにも転機をください。

もとい
もっと頑張れ自分。
いやホントに。


描いていて楽しければ、ボクの描いている作品は間違っていない。
まんがを描くことが楽しくなければ、意味がないと思います。

(1988年 村上もとか先生 談)



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